2024年7月10日(水)

1.1 炭素原子に起因する性質

炭素材料の性質や機能には,炭素原子で構成される構造(高次構造)によるものの他に,炭素原子そのものに起因するものがある。最初に炭素原子に起因する炭素材料の性質からみることにする。

“炭素材料は軽い”。炭素材料の密度は最も大きな黒鉛でも2.26g/cm3に過ぎず,多くの炭素材料の密度は1~2g/cm3である。炭素は全元素中で6番目に軽い元素である。原子の充填の仕方にもよるが,一般に軽い元素でできた物質は軽い。ちなみに26番元素の鉄の密度は7.85 g/cm3,80番元素の水銀は13.59 g/cm3である。
“炭素材料は強い”と言うと,首を傾げる人が多い。多分,バーベキューに使うような木炭や消し炭などが念頭にあるのだろう。木炭が脆いのは孔だらけの構造に起因する。表1.1に様々な結合の結合エネルギーを示した。C-Cの結合エネルギーは347.7kJ/molで,多々ある結合の中で中位の大きさである。二重結合や三重結合の結合エネルギーはそれぞれ607kJ/molと828kJ/molと格段に大きい。炭素材料の基本構造は炭素芳香族平面で,そこでの炭素原子間の結合エネルギーはC-CとC=Cのほぼ中間の474kJ/molである。 こうした大きな結合エネルギーも炭素原子に固有なものと言ってよいだろう。

もちろん,現実の材料の強度は構造欠陥や粒界などによって支配され,結合エネルギーが即そのまま材料の強度になるわけではない。しかし黒鉛ウイスカーのように,ほぼ欠陥のない単結晶材料ならば結合エネルギーが材料強度に反映する。炭素材料は,本来強い材料なのである。
図1.1をみて頂きたい。いろいろな無機繊維の比強度と比弾性率がプロットされている。単位がinchという長さなので奇異に思われるかもしれない。強度や弾性率を密度で除するために長さの単位になる。同じ強度ならば,炭素材料のように密度の小さな材料ほど大きな値を示す。炭素繊維は機械的性質の異なる3種が上市されているが,図の値は概略値である。詳細については後述する。ここでは炭素繊維が,他の無機繊維に比べて高い比強度,比弾性率を有することを知って頂ければ充分である。

繊維は成型しにくい。そこで炭素繊維は通常ポリマー(樹脂)で固めた状態で使われる。炭素繊維補強ポリマー(CFRP)である。ポリマーも軽いのでCFRPも軽い。その上,炭素繊維の性質を反映して強い。大分昔のことになるが,図1.2に無給油無着陸で世界一周飛行に成功したボイジャーの写真と機体の概要,特性を示した。この二人乗りの軽飛行機の重量はほぼ1トンで普通車並みである。ほとんど全てがCFRPで作られているからで,この快挙はCFRPによって成し遂げられたと言っても過言でない。

2015年の6月1日に太陽電池飛行機“ソーラー・インパルス2”が名古屋空港に緊急着陸した。太陽電池で世界一周を目指すこの飛行の翼幅は何と63.4mもある。翼面積200m2の上には11,628枚の太陽電池が設置されている。天候を考慮して400kgのリチウムイオン電池も積んでいる。それにもかかわらず総重量は2.3トンに過ぎない。機体がCFRPハニカムサンドイッチという構造で作られているためで,1平方メートル当たりの機体重量はわずかに25gである。CFRPはこうした挑戦を支える一方で,民間機のボーイング787型機の構造部材として機体の50%に実使用されている。

空中を飛ぶ航空機ほど軽量効果は顕著でないが,現在のCFRPの最大の関心事は自動車部材への利用展開である。以前は,F1レース用などの特殊な自動車に限られていたが,最近フォルクスワーゲンの市販電気自動車“i3”のボディーに全面採用された。電気自動車の欠点は走行距離の短いことである。走行距離を伸ばすには,電池の改良に加えて車体の軽量化が有効である。重い電池を搭載したi3の車体重量は1260kgである。現在の世界の炭素繊維生産量は約5万トン/年である。CFRPの用途が普通自動車にまで拡大すれば,その需要量は途轍もなく大きなものになる。変わったところでは,スマホのフレームなどにもCFRPが使用され始めた。CFRPについては1.3.2で再度説明する。

北朝鮮の核問題に関する新聞記事などで,しばしば“黒鉛減速炉”という語彙にお目に掛かる。黒鉛,すなわち炭素で中性子を減速する原子炉という意味である。原子炉の連続運転には核分裂の連鎖反応が不可欠であるが,核分裂で生じた中性子はそのままでは高速過ぎて核分裂が生じない。連鎖反応のためには,高速中性子を減速させる必要がある。炭素原子はこの性質(中性子減速能)を有する。

図1.3に図示したように,高速の中性子が重い原子に衝突すると,中性子は減速することなくそのまま勢いよく撥ね返えされる。場合によっては原子核に取り込まれてしまう。しかし軽い炭素原子は,高速中性子の衝突によって幾分動かされる。高速中性子は,この分の運動エネルギーを失って減速する。ビリヤードを思い起こせば容易に理解できるだろう。

炭素でなくても,軽い元素や分子ならば中性子減速能を示す。核燃料を水中に保管するのはこのためである。原子炉の建設にはこうした性質を有する構造材料が必要である。高強度の構造材料を大量につくることのできる軽元素は炭素だけである。炉心から中性子が漏洩するのを防止する反射材や遮蔽材 も炭素材料でつくられ,そこではすべて炭素原子の有する中性子減速能が利用されている。

炭素材料は生体や微生物に対して高い親和性を示すことは古くから知られている。表面処理剤(サイジング剤)を取り除いた炭素繊維トウ(数万本の炭素繊維の束)を活性汚泥に浸漬すると,表面に付着した微生物が急速に増殖して1週間後にはボール状(図1.4)を呈するようになる。他材料の繊維ではこういうわけにはいかない。大量に増殖した微生物を用いて水質の浄化が試みられている。最近問題となっている磯焼けの解決策として人工藻場をつくる研究も行われた。炭素材料が微生物に対して高い親和性を示す理由として,バイオソニックという音波による活性化説や表面電化説などが提唱されているが,まだ結論は出ていない。そこで本章ではこの性質を炭素原子に起因する項目に仮に分類した。今後の研究進展の如何によっては,他の項目に移る可能性のあることを付け加えておきたい。

生体親和性を利用した代表的な炭素材料製品は,図1.5に示した人工心臓弁である。世界中で200万人近くの人が使用しているとされる。用いているのは炭化水素ガスを高温下で分解してつくる熱分解炭素で,ここでは機械的強度,耐久性,血液の付着しにくさ(血栓の出来にくさ)などの性質が活用されている。こうした利点を有しながら,生体材料分野への炭素材料の利用展開はさほど進展していない。靭性の不足に加えて,剛直な炭素材料が破損すると微粒子が発生して血管の梗塞を引き起こす危険性があるためである。

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